「家事は女がやるべき」
「男の方が経済力を持っているべき」
「女は一歩下がって男を立てるべき」
「男の方が女より身長が高くあるべき」
性差別をなくそうとこれだけ叫ばれている世の中でも、私の心の中には今だに「男はこうあるべき、女はこうあるべき」というジェンダーバイアスが存在している。
共働きなら家事の分担があってもいいはずだし、男より女の方が稼いでいても、女が男を引っ張っていく関係でも何の問題もないはずだ。
それなのに、なぜか私は男性優位の考えを捨てきれない。どうしてなのか。きっとそのほうが自分にとってメリットが多いことを知っているからだ。
学生の時はカワイイ子がモテたし人気があった。
社会人になってからは美人の子ほど仕事を取ってきた。
女らしく振る舞うと褒められて、そうでないと(大げさに言えば)嫌われる。
「女らしさ」は、「特別な個性」や「優れた能力」と同じくらい、貴重で価値があるもだと思う。私はこの3つの中から女らしさを選んだ。それが一番簡単で安全だったから。
男の方に経済力があれば、自分は仕事に命をかけずに気軽に生きていける。自分の価値観を基準に相手にぶつかっていくより、一歩下がって相手を受け入れた方が平穏な毎日を過ごせる。
女らしさは優しさだ。優しさは自分を殺すことにもなるけど、間違っているわけじゃない。安全な道を自ら選んでいるだけなんだ。
性差別をなくしていくのもいいけど、男らしくいたい男と女らしくいたい女の共存関係もまた居心地がいい。男性優位の社会は、実は女性も恩恵を受けている。
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