今の会社に転職する前、
私は社員100人ほどのベンチャー企業で
採用担当として働いていました。
採用担当が自分1人しかいないことと
自由な社風もあって(放置でもある)
企画も実施もなんでもやってみることが
できて毎日が充実していた。
そのときのことを振り返ると
仕事にやりがいを感じて楽しんでいる
自分のことばかり思い出すけど、
本当はそんな楽しいことだけじゃ
なかった気がする。
楽しいと感じるのは思い出になってからで、
その状況の中にいた私はてんてこまいだった。
(どうやら記憶が徐々に美化されているらしい)
ミスして周りに迷惑がかかることが
分かったときの胃がひっくり返るような
緊張と焦りとか、
時間に追われて間に合うか間に合わないかで
3時間全身から冷や汗が止まらなかったりとか、
上司が他の女の子をかわいがっていて
自分がのけ者にされてると感じたときの疎外感とか。
そんな出来事が1日に数回は訪れるので
私の心はかき乱されっぱなしだった。
またやりたい、と思いつつ
もう嫌だ、とも思う。
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それに比べて
家事の大変さはどうだろう。
家事が大変なのは
「エンドレスループ」
なところだと思う。
毎日同じことの繰り返し。
お皿は夜洗っても朝にはまた洗う。
朝洗っても夜にはまた洗う。
掃除をしても明日には汚れる。
ごはんを作りながら明日のごはんの
ことを考える。
一歩進んで一歩下がる。
家事は前に進まない。
仕事はミスをしても前に進んでいく。
繰り返しの作業はあるけど
1ヵ月前と同じ状況のままなんてことはない。
周りの景色はどんどん変わっていく。
自分が動いた証拠が
良くも悪くも残る仕事とは違って、
家事はやったことがどんどん消えて
なくなってしまうみたいだ。
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だからと言って家事にやりがいが
ないかというとそんなことはない。
好きな人にごはんを作って
「ありがとう、おいしいよ」
と言ってもらえるのは幸せを感じる瞬間だ。
新卒説明会で会社のアピールをしたり
来年の採用計画を立てたりする時間より、
家族のためにごはんを作る時間のほうが
自分にとってはずっと有意義だと感じる。
それでもときどき・・・
ふっと家事に嫌気が差すことも。
だから美味しい献立ができた日は
自分を自分でほめたたえたり、
お掃除が楽しくなるようなグッズを
買ったりしてモチベーションを保っている。
そう思うと・・・この点については
仕事も家事も同じだな。
仕事はできて当たり前だから
普段感謝されるようなことはまずない。
フィードバックもないので自分が良いと
思うことをひたすらやり続けるしかない。
でももし・・・
「今日のプレゼン、よかったよ」
「資料まとめてくれてありがとう」
「日程調整してくれて助かった」
仕事でそんな一言が聞けたなら。
きっと救われた日もあったはず。
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家事だってフィードバックが
もらえたら嬉しい。
私が言われたら嬉しい
言葉はこんなこと。
「トイレがピカピカになってた!」
「もしかしてシーツ洗いたて?」
「シャツアイロンしてくれたんだね。
新品みたいだよ!」
・・・
って求めすぎ?笑
いや求めすぎってことはないだろう。
だってやってるんだから。
会社だったら一緒に働いている人の
気遣いやサポートがあったら相手が
同僚でも後輩でもお礼を言う。
そんな風に家でも言いたい。
でも家事のやっかいなところは
やったことが分かりにくいことだ。
トイレ掃除にしても
目立つ汚れがないうちに掃除するから
掃除したのかしてないのか
パッと見には分からない。
だから私は!
申告
することにします!
「金曜日だからトイレをピカピカにしたんだ」
「今日はシーツ洗い立てだよ」
「アイロンかけたよ。クリーニングに出した
みたいでしょ?」(ドヤ)
仕事でも言ってもらわないと
気づけないことってたくさんあるから。
「ありがとう待ち」をするより
正直に求めたほうが自分も相手も
楽な気がする。
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新卒のとき隣の席になった同期は
自分のやることを常に実況中継する
子だった。
よろしくお願いします、という
3行だけの簡単なメールを送るのにも
「メール送っときますね」と
ひとり言のようにつぶやく。
そうすると先輩はパソコンから
目を離さないまま「ありがとう」と言う。
私は自分でできる仕事は
自分で進めるほうだったからか、
その分「ありがとう」と言われることは
その子より少なかった気がする。
やってることが同じなら
伝えないより伝えたほうが絶対いい。
やったことに気づいてもらえるなら
エンドレズループの家事もやりがいの
あるものになっていく気がするな。
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