子どものとき、クリスマスリースを作るために母と細い木の枝を探しに行ったことがある。
探しに行ったのは近所の空き地で、草が伸びっぱなしの何もない場所だった。
たしか空がどんより曇っていている寒い日で、荒れた空き地を母とザクザク歩きながら使えそうな木の枝を探した。
私がリースを作ったときのことよりも木の枝を探しに行ったことをよく覚えているのは、きっとその時間が楽しかったからなのだろう。
この絵を見て、そんな思い出がふと蘇った。
青空に浮かぶ白い雲と、遠くまで広がる野原が美しい。
丘にひなげしが咲いていることから、舞台はあたたかい初夏だと分かる。
右手前、女性の帽子のリボンがなびき、傘は風圧を受けて少し歪んでいる。
風を逃がすように傘を背中の後ろに倒しているので、ここには強い風が吹いているようだ。
広い野原に風が通る音。ザーっと木々の葉が揺れる音が聞こえてくる。
少し汗ばむような初夏の日差しと土の香り。伸びた草が足や腕にちくちく当たる。
画面の中央を横切る背の高い木々と同じラインに、もう一組みの親子がいる。
手前にいる女性と洋服の色は違うけれど、帽子の形や男の子の背丈など二組の親子は似すぎている。
それもそのはずで、二組の親子は同じ同一人物(画家の妻と子)だと解釈されている。
丘の上にいる時と、ひなげしが咲くゆるやかな斜面を下った時の時間の経過を表しているのだ。
この絵で切り取られているこの時間には何か特別なことが起こった訳ではなく、女性と子どもがただ丘を下ってこちらへ向かってきただけだ。
そんな何気ない一瞬。
日常にありふれていていて記憶からすぐ消えてしまいそうだけど、二度と戻らない大切な時間。
この絵を見たとき私は女性の後ろを歩く小さい子どもに自分を重ねて、母と一緒に歩いた時の記憶を思い出した。
これから自分に子どもができたら家族を見守る画家の視点(鑑賞者の視点)に変わり、もっと歳をとって子どもも成長したら、女性に自分を重ねて子育てをしていた頃の自分を懐かしむのかもしれない。
消えかかっている思い出の懐かしさには、いつも少しの寂しさが伴う。
この絵は誰もが持っている懐かしい記憶を思い出させてくれる。
それも写真に収めるような笑顔でこちらを向いている姿や特別な瞬間などではなく、自分の目で見て感じたそのままの景色だ。
この絵は別の空間に行くことをはっきり感じることができる、家の階段に飾るのはどうだろう。
ふと絵が目に留まったとき、普段のなにげない一瞬がどんなに大切か思い出させてくれるから。
- クロード・モネ
印象派を代表するフランスの画家。(1840-1926)
『アルジャントゥイユのひなげし』は1873年に作成された。
アルジャントゥイユはエッフェル塔から約10キロ離れたパリ近郊の土地。
サイズは50㎝×65㎝。オルセー美術館所蔵。
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